皇居勤労奉仕


平成11年2月22日から25日までの4日間、御嶽教全国教師青年部会所属の18名が御嶽教として初めて、皇居勤労奉仕に参加しました。「御嶽のひかり」第393号新緑号に、この勤労奉仕で学んだこと、感動したことなどが掲載されておりますので、紹介したいと思います。



宿泊場所;後楽園サテライトホテル
奉仕団員;    

団  長 北川茂廣 末廣教会 団  員 小松寛明 神恩教会
副団長 亀井一秋 天瀑成田山神徳教会 団  員 藤江紘寿 大和七五三教会
団  員 鴨下清司 丸い福寿教会 団  員 山本晃道 宝生大教会
団  員 百田吉男 大杉大教会 団  員 赤堀真一郎 敬真大教会
団  員 五十嵐二郎 誠心教会 団  員 戸井祐道 宮城大教会
団  員 中根芳高 岡崎天王教会 団  員 岡本康靖 滋賀大教会
団  員 高野一興 熊本教会 団  員 岡本基成 滋賀大教会
団  員 筒井清高 松尾滝筒井教会 団  員 吉村キヨ子 天道信太山分教会
団  員 小川高誠 普賢寺教会 団  員 大塚美根子 神威教会

皇居勤労奉仕によせて

全国教師青年部会会長
勤労奉仕団団長   北川 茂廣

 去る2月22日から25日(21日上京)の4泊5日の行程にて、御嶽教全国青年部会奉仕団として皇居勤労奉仕に出発しました。奉仕団員は18名。皇居・赤坂御用地にて両陛下、両殿下より御会釈を賜ること、又賢所での清掃奉仕を含め、いろいろと勤労奉仕に接する心持ちが高揚してくるのが、ひしひしと感じつつ当日を迎えることになりました。
 昨年の教師青年部奉仕の御神火祭も盛大の内に斎行する事が出来、陛下のお側にてご奉仕をさせて戴き、景仰の心を持ち自己研鑽の一つとして企画致し、半年前に奉仕団の概略と個人の名簿を提出。宮内庁より奉仕許可書を賜り、奉仕日一ヶ月前に更に確定名簿を提出するという作業にてのご奉仕。賢所でのご奉仕と申しましても、一般の方々は賢所の回り迄は寄せて頂けても、中でのご奉仕は出来ず、関係各位のお力添えをもち奉仕させていただきましたこと、この上ない喜びの一つでした。
 又、7団体の代表としてご氏名賜り、聖寿萬歳先導の栄に浴しましたことは、18名の奉仕団員の皆様のおかげと思っておりますし、目の前のお側正面にて唱和申し上げることが出来ました幸せは忘れることが出来ません。震える足を抑え、くちびるの渇きは最高潮に達し、御会釈が終わったときには、何を質問され、どのようにお答えしたのかわからない程に緊張・感動のひと時でした。
 又天皇陛下が出口に向かわれた時に、皇后陛下があらためてお出まし戴きましてのお言葉(後の御会釈にてのお言葉参照)は、御嶽教の一教師として心強く、感動を覚えたのは私一人ではなかったと思います。
 今回の勤労奉仕に際しまして、管長様はじめ諸先生方の御支援、御理解、そして関係各位のお力添えに感謝申し上げる次第です。ありがとう御座いました。本当に貴重な体験であったことを御報告申し上げます。


皇居勤労奉仕の報告

奉仕団副団長   亀井 一秋

二月二十一日、午後七時宿泊地後楽園サテライトホテルの一室にて、明日からの御奉仕について最終の打ち合わせを行いました。御奉仕の場所などは、不明のため、出発時間と、手荷物の確認をし、打ち合わせを終了。少々高ぶる気持ちを抑えながら、明日からの御奉仕に粗相の無いようにという心を全員が持ちました。
 二月二十二日快晴。後楽園ょり地下鉄丸ノ内線に乗車し、東京で下車、徒歩で皇居へ向かいました。まず窓明館に入り待機。その間に、団長を集めての説明と全員に対する説明がありました。終了後、窓明館入り口前に、七つの団体が四列縦隊で並び、説明を受けながら所定の場所へと移動を開始、「歩くことが仕事です」とおっしゃったとおり、目的地に向かってひたすら歩きました。私たちの団体が到着したところは、宮中三殿賢所でした。皇居の中でも最も重要な場所である賢所での御奉仕は、希望していたことではありましたが、初日から希望がかなえられたことは誠にありがたいことでした。賢所に於いての説明では、宮中祭祀は年間六十回ほど行われるとのことでした。また天皇陛下が国の平和と国民の幸せをひたすら願っておられるというお話は、心に深く刻み込まれるものでした。
 十一時から天皇皇后両陛下の御会釈とのことで、御会釈の場所へと急いだのです。御会釈というのは、両陛下が親しくお出ましになられ、奉仕団にお声をおかけになられることです。整列をしてお待ち申し上げている時間は、一秒一秒が確実に刻み込まれていくような不可思議な気持ちにとらわれながらのものでした。「御所を出発なさいました」との一言で、緊張感が一気に高まり、手足が気持ちふるえる感じを覚えたのでした。天皇皇后両陛下がお着きになられ、奉仕団それぞれに御会釈があり、にこやかなお顔で、北川奉仕団長の前にお立ちになられ、お言葉をおかけになられた時は、時間が一瞬止まった感覚でした。陛下からの「全国からですか」とのお言葉に一語一語確かめながらはっきりと北川団長がお答えになる姿が、本当にうれしかったのです。全ての御会釈終了の後、両陛下に対し、奉仕団長が一列に並び、北川奉仕団長の先導のもと「天皇陛下、皇后陛下。万歳。万歳。万歳。」と奉仕団全員にて割れんばかりの万歳三唱を申し上げたのです。人生の中で嘗て経験したことのない緊張感が心地よく、奉仕団員全員が御奉仕に参加できてよかったという気持ちを持ったのではないでしょうか。また、陛下が出口の方に向かわれたその時に、皇后陛下が改めて北川奉仕団長の前におでましになられ、「御嶽教というと山岳宗教の」とお言葉をおかけになられました。団長は「はい、そうです。」と答えたのですが、私たちにとって身に余るお言葉を頂戴して、言葉では表現できない感動を覚えました。
 午後からは、埃にまみれながら宮中三殿の下の小石を運び出す御奉仕に没頭しました。休憩時間に賢所を間近にしていると、別の宇宙にいるような錯覚にとらわれ、日本の文化と伝統が脈々と息づき、思考するのではなく、まさに目が考える時を過ごしている感じでした。
 
 翌二月二十三日も晴れ。午前中は宮殿の庭園を拝観させていただき、中庭の白い丸石を洗う作業を、秋田県の奉仕団と共に御奉仕させていただきました。中庭の丸石は、昨日の小石より大きく、結構な重労働でした。午後からは、宮殿の周りの清掃をいたしました。
多くの人数であっという間に清掃が為されていくので、予定よりも多くの場所を清掃させていただきました。
二月二十四日は曇り空での御奉仕となりました。皇居東御苑の一般の人々も自由に参観できる庭の清掃を致しました。剪定された枝などを均一に敷き詰め、その上から枯れ葉などをかけていくのです。これは時間と共に腐葉土となっていくのです。自然の中で生き生かされている自己を再発見した一時でした。またこの日の午後は、明日の最終日の御奉仕が、赤坂御用地とのご説明がありました。そのため、本日宮内庁にて、御奉仕に対しての、天皇陛下からの賜り物と宮内庁からの記念品を御下賜くださることになり、北川団長、鴨下、亀井の三名が代表となって宮内庁へ受け取りに参りました。そのとき、「今年は御在位十周年の記念の年です。私たちもその気持ちをもって御奉仕しております。皆様も記念の年の御奉仕で、記憶にしっかりと刻まれることと思います。」とのお言葉ありました。改めて、このような記念の年に御奉仕できた幸せをかみしめました。
 二月二十五日最終日晴れ。赤坂見附で銀座線に乗り換え、青山一丁目で下車西門より赤坂休所へと足を運びました。赤坂休所は窓明館より狭く、七団体が入ると空席が全くない状態でした。皇太子殿下、同妃殿下雅子様の御会釈は午後の御奉仕終了後ということで、園遊会が行われる所から少し離れた池の畔での御奉仕でした。土を掘り起こす作業でしたが、何とか最後まで頑張り、時間内に修めることが出来ました。午後には、秋篠宮様の眞子様が学校からお帰りなられたのをお出迎えいたしました。御奉仕終了後、東宮御所へ移動し、両殿下から御会釈を賜りました。団体ごとへのご質問と、「お元気で、お体を大切に」というお言葉が心にしみいりました。
 このようにして四日間の御奉仕をさせていただきました。四日間の感動と、学んだことの全てを文字にしてお伝えすることが出来ませんこと、お許しください。この経験をこれからの御嶽教教師としての成長に必ず生かしていきたいと思っています。また、このたびの御奉仕に対し、管長様始め多くの方々に御理解をいただきましたこと、心より御礼申し上げます。
終わりに両陛下、両殿下から賜りました御会釈でのお言葉を御紹介させていただきます。


両陛下、両殿下の御会釈にてのお言葉

両陛下北川団長の前にお立ちになり
陛下「全国からのお集まりですか」
会長「今回は九州熊本から埼玉までの青年教   師で、御奉仕によせて戴きました。」
皇后陛下「若い人たちの集まりですか」
会長「四十五歳までの青年教師で組織しております」
両陛下「これからの御活躍を期待しています」 全ての奉仕団との御会釈終了の後、両陛下に対し、奉仕団長が一列に並び、北川奉仕団長の先導のもと「天皇陛下、皇后陛下。万歳。万歳。万歳。」と奉仕団全員にて割れんばかりの万歳三唱を申し上げた。
 陛下が出口の方に向かわれたその時に、皇后陛下があらためて北川奉仕団長の前にお出ましになられ
皇后陛下「御嶽教というと、山岳宗教の」
会長「はい、そうです。」
皇后陛下「そう、これからも頑張ってください。」

殿下「今回は全国からの集まりですか」
会長「九州は熊本を始め、全国より十八名で御奉仕に参りました。」
妃殿下「全国と言うことですが、よく集まられるのですか」
会長「年に数回は集まります。御嶽教は後三年で開教百二十周年の佳節を迎えますが、我々教師青年部会は発足して未だ十三年なのです。今回全国の青年教師が集まりまして、皇居勤労奉仕によせて戴き、大変勉強に自己研鑽させて戴きましたこと、厚くお礼申し上げる次第です。」
両殿下「そう、お元気で活躍してください。お体を大切に。」
 両陛下、両殿下より本当に暖かい御言葉を頂戴し、得も言われぬ感動を覚えました。


素晴らしかった四日間

埼玉県教区丸い福寿教会   教師  鴨下 清司

ごえしゃくのこと

 御会釈と書くのであろうか。天皇皇后両陛下が、勤労奉仕参加者に親しくねぎらいの御言葉をおかけいただける時を、宮内庁職員の方がこうおっしゃっていた。
 とにかく緊張した。後にただ、突っ立ている我々がそうなのだから、お話をされた北川会長の緊張はいかがなものか計りしれよう。
 黒塗りの公用車からいつもの御振る舞いで降り立たれた御二方は、静かに我々の前に御立ちになられた。館内の空気が一瞬にして、言葉では表しがたいものに変わった。歴史と責任の重さが伝わってくるようである。
 両陛下は、奉仕団長の一人一人に丁寧に御言葉をかけられ、やがてわれわれ御嶽教青年部の番になった。
 「全国からの集まりですか。」たしか、そうおっしゃられたと思う。
 北川会長は丁寧に、御嶽教全国の青年部18名にて清掃奉仕申し上げる旨、お伝えした。それまでの奉仕団には皇后陛下もお声をかけて頂いていたので、皇后陛下がどんなことを御聞きになられるか、内心期待して待った。しかし、一瞬躊躇された御様子だったが、御嶽教青年部の我々には御声をかけられなかった。天皇陛下は、皇后陛下に気配りされ、いつまでも元気でという御言葉で、次の奉仕団に御進みになられた。
 全ての奉仕団に御声をかけ終わると、北川会長の発声で万歳を三唱する段取りである。団長たちが前に出た。若く力強い万歳が館内に響き渡った。そして両陛下御退出。その時である。突然、皇后陛下が北川会長になにか御声をかけられたのである。われわれには拝聴できなかったその御言葉を、後ほど会長に伺ったところ、
 「御嶽教というのは山岳宗教の御嶽教ですか」と御聞きになられたそうです。あの皇后陛下が我が教団を御存知であられた。その話を聞いたとき、心の底からこみあげてくる熱いものを感じたのは私だけではなかったはずである。もちろんあらゆる事は御存知の両陛下であるが、皇后陛下のその御言葉は、我々国民の末端まで御気を配られていることの証明であり、我々18名に対しても、もったいなくもやさしい御気遣いをしてくださったということなのである。両陛下を本当に親しく感じさせて戴くことができた。勤労奉仕に来て本当に良かったと思った瞬間であった。
 やがて両陛下は、温かい笑顔で感動の直中にある我々を後にされ、車へ御乗りになった。快走する車を、奉仕団はいつまでも手を振って見送った。

宮中三殿のこと

 皇居内には、天照皇大神をお祀りする賢所(温明殿)と歴代天皇をお祀りする皇霊殿、天神地祇をお祀りする神殿がる。ここへは、一般の奉仕者は入れないが、我々は特別にここの床下の敷き砂利の運び出し作業をさせていただくこととなった。御成婚の儀で記憶に新しいこの三殿は、テレビで見るより大きく感じられたが、正直言って老朽化は進んでいたように思う。雷が多いということで避雷針がたくさん建っていたのが印象的であった。
 砂利の運び出しは結構きつい作業であったが、係りの方が休息を長めにとってくれ、その間に話していただいたことに、お付の方がお足下を照らす松明は、かやを束ねたものを、和蝋で固めたもので、蝋がたくさん滴るので立てて使うことが出来ないとか、三殿を葺いている銅板は、精錬技術が進んでいなかったために純度が低く、そのためかえって好都合で、酸性雨でも腐食しにくいとか、一生涯を神に捧げて奉仕する内掌典の方の話など、我々にとって興味深いことが数多くあった。
 しかしながら、その宮中三殿において、天皇陛下が年間を通して、国家の安泰と国民の安寧を祈り、祭祀に勤しまれていること、そしてその回数が、我々の想像を遙かに超えていること、そういう御苦労は報道されず、広く世人の知るところでないということ、これは残念至極であると思った。
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 周囲五キロにおよぶ皇居は、一歩足を踏み入れると、大都会の中にあって全く別の世界にも思えました。周りの喧噪とは打って変わった、ゆったりと時の流れるような、何か心が落ち着くような、日々の生活でかき消されそうになっている日本人の心の故郷みたいなものを強く感じました。
 また、この4日間の勤労奉仕で、両陛下のこと、皇室のことについて見識を新たにさせていただき、大変有難い気持ちで一杯です。最後になりましたが、快諾いただき、有意義な機会を与えていただきました大桃管長様、計画実行されました北川青年部会長に心より御礼申し上げます。ありがとうございました。