御嶽山大和本宮

お知らせ詳細

御嶽山大和本宮秋季感謝大祭を斎行致しました

2020年11月4日

令和2年 御嶽山大和本宮 秋季感謝大祭

 

10月28日、秋季感謝大祭が御嶽山大和本宮において斎行された。

例年であれば、27日・28日が大祭期日であるが、今年は年頭より世界的に新型コロナウイルス感染が蔓延し、その収束も見出せないこの時期であり、感染予防の一環として、大祭期日を1日に限定した。

大祭の祭員はじめ奉仕者数を縮小し、原則として宿泊を要しない教師・信徒のご奉仕を頂いた。更に参拝者についても、ご来賓をはじめ遠距離の教区・教会の教師・信徒、また高齢者、持病のある方などのご参拝を自粛して頂いた。

大和本宮境内をはじめ、神殿・拝殿・境内各社等の施設にも、感染予防の徹底を図り、奉仕者や参拝者のマスク装着、手指消毒、参拝席の距離確保などに留意しての大祭となった。

このように前代未聞の大祭にもかかわらず、想定以上のご参拝を頂く中、感謝大祭の神事はほぼ例年通りの神事次第をもって進行していった。

大祭に先立つ午前11時より、社頭において「湯立神楽」が厳かに舞われ、笹束により釜の熱湯が周囲に撒き散る中、本日の大祭の成功と清めの祓え、そして疫病退散が祈念された。

拝殿いっぱいの参拝者が椅子に着席するなか、正午を期して典儀挨拶の後、役員・教会長等の入場参殿。雅楽奏でられ、総先導に続き先導祭員、斎主(管長)、副斎主、祭員の入場。

修祓、御開扉、献饌、奉幣行事と進み、斎主の大祭祝詞と疫病退散祝詞が奏上された。御嶽教七五三の教え奉読、続いて御嶽教神楽奉舞。次に火焚き神事が厳粛に奉修され、疫病退散の秘法が施された。続いて玉串奉奠に移り斎主・祭員、教団役員等、来賓・教会長等、次々にご神前へ奉奠拝礼された。御真言斉唱、撤饌、御閉扉。

神事が終わり、管長導師の下で合掌訓が奉唱され、続いて御嶽教功労章授与、長寿表彰が行われた。最後に管長教話が行われ、時宜を得た内容と特別の年としての信仰をより深めるべく決意が述べられ参拝者一同が感銘を受けた。

祭員退座により、管長より参拝者への小幣加持が奉修され、ありがたく拝受された。

祭員と参拝者が拝殿より外へ出て、それぞれが風船を手にした。風船には「アマビエ」の絵と「疫病退散」の文字が描かれている。管長の発声で、「疫病退散!! コロナウイルス飛んでいけ!!」と口々に叫び、紺碧に晴れ渡った青空に色とりどりの風船が舞い昇っていった。全員が笑顔に包まれ、拍手で風船が小さくなるまで見送り、今年の秋季大祭をめでたく納めることとなった。

 

 

御嶽山三十六童子の由緒

 

『御嶽の歴史』(生駒勘七著、昭和四十一年)によると御嶽山一ノ池に不動三十六童子を勧請したのは尾張の御嶽行者・儀覚で「下総(千葉県)の成田山新勝寺の不動三十六童子を勧請した」としている。成田山が江戸深川の永代寺境内で本尊不動明王の出開帳を始めたのは江戸時代の元禄期である。その後頻繁に出開帳を続けた結果、成田山の信仰は江戸庶民に大いにひろまった。これが諸国の大名にも信仰され、その郷里に成田山が勧請されて今に至る全国規模の信仰となった。とりわけ熱心だったのは尾張藩だった。こうした流れのなかで成田山不動三十六童子も江戸から尾張へ、そして尾張から御嶽山一ノ池に勧請されたのである。

三十六童子は一の池のまわりのお鉢に勧請された御嶽山不動明王の眷族(家来)のことで三十六体の童子をお参りするお鉢巡りである。眷属とは、仏や観音に従うものということである。三十六童子は、ひとりひとりが一千万人の従者を率いているとされ、大眷属の頂点たる不動明王の力の偉大さを感じさせてくれる。三十六童子の名を唱えれば悪霊は退散し、崇拝する者を背後から守護して、長寿をもたらすと言われている。

不動明王は、観音菩薩や地蔵菩薩と共に古くから多くの人々に信仰されている仏様である。日本全国には、不動明王を本尊に迎えている社寺が数多くあり、御嶽山大和本宮の護摩堂にも「大日大聖不動明王」をお祀りしている。木曽本宮には、清明滝に「聖心不動明王」が鎮座されている。

去る平成二十六年の御嶽山噴火により頂上登拝が制限されてきたが、平成三十一年には黒沢口より剣ヶ峰頂上の登拝、令和二年八月に王滝口頂上の参拝が可能となった。しかし剣ヶ峰頂上の一ノ池、いわゆる「お鉢廻り」の行場は現在のところ解除されていない。

歴史あるお鉢廻りの効験をより多くの方々にも体験して頂き、その霊験・御神德を享受して頂きたく、里の本宮である大和本宮においても参拝して頂けるように、三十六童子の神璽を大岩権現の周囲の石柱を神籬として勧請いたしている。大和本宮参拝の折りには、是非「お鉢廻り」をしていただき、その御神徳をお受けいただきたい。また御鎮座の護符も受付にて授与しており、霊験あらたかであるのでお受けいただきたい。

御嶽山大和本宮

 

「サンバラ宮奉斎の由来

御嶽山大和本宮

サンバラ(Śambara) またはシャンバラとは、本来はインド神話に登場するアスラ神族の名前である。サンスクリット語のŚambaraを仏教では三跋羅・三婆羅(サンバラ)と言い、「律儀または禁戒」と訳す。 身、口、意の悪を防ぎ、六根をまもるはたらきのある戒体。受戒によってそのはたらきが生ずるところから「難を逃れる」ともされている。

平安末期の武将の位牌に「サンバラ四文字が綴られていたとか、中国の新王朝(8〜23年)の厭勝銭(護符)のひとつに、サンバラ(サムハラ)銭があったとか、孔子の弟子の會子が死に際(BC505)にサムハラに祈ったとか、の故事がある。

我国においては、太閤秀吉がこの四字守は終生身から離さなかったといい、征韓の際、加藤清正はこれを分霊して刀身に彫り、数回の危機を脱し、遂に清正の御守と持てはやされ、後に徳川家治の小姓新見感之助、紀州侯の徳川光貞等もその奇瑞をうけたと伝えられている。また日清・日露の戦争の際にこの神符を所持して銃弾などから免れたとの言い伝えがある。そこから「難を逃れる」「九死に一生を得る」「弾除け」などの神が流布されて、崇められるようになったらしい。

御嶽教においては、渡邊銀治郎第八代管長が、昭和十六年にその著「祈祷禁厭神占宝典」の中でその効験について紹介されている。令和二年(2020)に井上慶山第十三代管長が先の「宝典」を解訳上梓する作業の途上で「大和本宮に奉斎せよ」との御神託を得て、ここに「サンバラを奉祀することとなった。その御祭神は御嶽信仰の源流と目される御嶽山座王大権現(おんたけさんざおうだいごんげん)武尊山大権現(ぶそんざんだいごんげん)・意波羅山大権現(いばらさんだいごんげん)」の三神としている。

「サンバラの四文字自体が「怪我・災難を除ける護符(神字)」とされ、サンスクリット語の「三跋羅(サンバラ)」という言葉に由来する「幸福の維持・用意・収集・養育、静かで穏やかなこと、平和など」の意味がある。また「気」のエネルギーにもかかわるともされ、宇宙森羅万象の気を整えて、世のゆがみを正道にもどす、と説かれている。

「サンバラの御真言は、「オン バラ バラ サンバラ サンバラ アビラウンケン ソワカ」である。これは観音菩薩の化身で、多くの真言護符の所持者である大随求菩薩(だいずいくぼさつ)真言と御嶽山座王大権現の真言に依るものである。

御真言を念誦することにより霊験は正にあらたかで、特に「罪業消滅」「敬愛成就」「疫病調伏」「悪霊降伏」「除難息災」「護身加持」「増益豊穣」などが顕著である。

最近では、パワーストーンが若者にも人気があり、「敬愛成就」に効験のあるお守り、宝珠守り(ブレスレット)、頚飾守り(ネックレス)、指環守りなどが好まれている。

御嶽山大和本宮において、「サンバラ(カード守り)「サンバラ四文字刻印のルチルクォーツの宝珠守り(ブレスレット)、頚飾守り(ネックレス)、指環守りなどが授与され、その効験あらたかなことで評判になっている。

サンバラは、サンスクリット語の「samvara三跋羅(サンバラ)」で、身を制するの意味。身、口、意の悪を防ぎ、受戒によって六根を護る働きがあり悪業や過失に陥ることを防ぐと言われている。そこから「難を逃れる」「九死に一生を得る」「弾除け」「除災招福」「心願成就」などの神徳が流布されて、崇められている。

『御嶽山サンバラ宮(おんたけさんさんばらぐう)』には、御嶽山座生(おんたけさんざおう)大権現(だいごんげん)、武尊山大権現(ぶそんざんだいごんげん)、意波羅山大権現(いばらさんだいごんげん)を奉斎し、その御神徳・御利益は随一である。

護符(御札・御守)を受けて、御真言の「オン バラ バラ サンバラ サンバラ アビラウンケン ソワカ」を繰り返し唱えると、たちまちにして効験が現われると伝えられている。

                             御 嶽 山 大 和 本 宮

 

R2 御嶽山大和本宮秋季感謝大祭 ←こちらをクリックしてください

御嶽山大和本宮からのお知らせ